オレンジボディの黒い鳥、飛ぶ
ちょっと気分がいいのでたまには更新するのだ。
というわけでディケイド見てたら怪しげな二眼が気になったので探して注文して入手。ウエストレベルファインダーは眠ってるハッセル500C/M以来。ローライもずーっと手に入れようと思ってたんだけど、やっぱ中判がねー、めんどくさくて現像出さないよな、じゃあ買っても意味ないよな、みたいな感じで、二眼は実は未経験(後はエギザクタマウントくらいですかね)。
ローライのレプリカのデジカメもあったはずだけど、なんか興味なくてパス。と思ったらディケイドに謎の二眼が。というわけで35ミリの二眼という「blackbird,fly」なるいかにもなトイカメラっぽい名前のトイカメラを手に入れた。色はこれが一番ですね。安っぽいながらオレンジのペイントはいいですよ。
人生の相棒はニコンF5、いま使ってるのはEOS1DmkIIとkissD Nみたいな戦国時代の生活だけど、本当はLOMOとか(持ち歩いてたら壊れた)とかバルナックのIIIfとかM4(それぞれGRの28ミリ付けてた)とかをコンタックスIIIaとかを愛してます。
ことここに至って、個人的に写真は哲学としてしかありえず、撮るなら銀塩だなと思ってたんですが、久々にDPEに出す気になる適当なカメラが出てたのでうれしいです。
正直、安いカメラだけさわってやっぱニコンだいやキヤノンだとかいう人は気の毒としか思えないんですけど、だってカメラに自分を託したことありますか。ニコンF5という機械が自分の延長になった感覚というか、そういうものって後にも先にもないです。雪の中、いっぱい泣いたし、いっぱい喜んだし、いろいろあったけど、全部ニコンF5と一緒に見ました。
カメラは自分を託せるような道具だという理解であって、でもそれはアサカメの投稿欄に載るような写真を撮るためのものではなくて、「わたしは何も忘れたくないの」というレコーダーとして、ですね。わたしは写真を人に見せる気はないのです。見せるのを前提に写真を撮ってもだめだと思ってます。
長い(と思ってた)日々が終わって帰ってきて、人生の相棒だと思ってたニコンF5にフィルム詰めて池袋を歩いた時、自分がベトナム帰還兵のような場違い感を感じたのでした。「Shoot」。視線と自動小銃、視線の暴力っていうか。
レンジファインダーがよくて、さらに二眼がいいのは視線の暴力性がないからなんですね。おれがそう思ってるだけかもしれないけど。「いい写真」っていうものがどれくらいまがい物か。「いい写真」を撮るために傷つけるものがあるっていうか。写真がそうであってはならないと、センパイが言ってました。傷つけるものであってはいけないと言ってました。だとしたら、写真はほんとうに自分のものとしてしか、撮りようがないです。
カメラは語るに値するものですが、それは記憶の哲学の小径に通じてるからです。でも暴力を前提にするようなカルチャーとはわかり合えないような気がします。トイカメラの適当さが、いまは自分に合ってるように思ってます。
カメラの漫画でも描こうかな……と思うけど、何にも思いつかないですねえ。どうしてかな、と思ったら、俺がカメラでありたいから、ですね。現像は読んでくれた人次第、という。
使ってないミクロドールとかしまってあるはず(;´д`) ツァイスで撮った北海道時代の庭の写真を思い出しました。全部遠いですね。
そんな遠い昔の話の1つ。どれくらい売れないか、ネタでやったダウンロード販売。
こんなもん宣伝しようがないっつーか(;´д`) だいたいマージンが高すぎだろっていう。


